フランクフルト二日目とその後
宿泊することになったホテルです。
映画に出て来るモーテルみたいなロケーションです。規模は国際会議場の方より小さいです。そこで一日つぶすのは無理ですし、飛行機に乗るのにもう少し荷物を減らすために暑い国で着そうもないものを日本に送るのに、荷造りに必要な包装紙やお土産を少々買いに行くことにしました。
フロントの人に教えてもらってバスと鉄道を乗り継いでフランクフルトの繁華街ハウプトヴァッヘに行きました。
ホテル最寄りのバス停の近く、田舎ののどかな村、という感じです。
停留所の名前を見ないで乗ってしまったので、帰りに降りそこなわないようドキドキしました。
ホーフハイム駅の券売機で切符を買う時、ティーンエイジャーの男子たちが親切に教えてくれました。
ハウプトヴァッヘのデパート、カウフホーフはガレリアと名前が変わっていました。
案内板にはドイツ語のほかは英語と中国語です。ドイツでも爆買いしてるのでしょうか?
包装紙の他に、グリーティングカードなど買って、最上階のカフェテリアでお昼を食べる事にしました。
セルフサービスで置いてあるものと、いくつか注文カウンターがあって、トレーに載せてまとめて会計だったと思います。
パスタは目の前でソースを作ってくれます。前の人があれを多く、それ入れないで、などと注文をつけていたので、私もそうしたいと思ったのですが、すぐあとから来た人が同じものを注文し、二人分一緒に作られてしまったので我が儘が言えず、さっぱりしたトマトソースがよかったのに仕上げにクリームをたっぷり入れられてしまいました。
ちょっとしたお土産探しを兼ねて39年ぶりに市庁舎の方へ。
塗り替えたのかあまり古びていませんでした。
泉(噴水)が広場の中央にあって市庁舎と教会があるという、典型的なドイツの町のつくりです。
レープクーヘンのお店に小さなトランク型の缶入りチョコレートがあったのでお土産用に(あとで郵送)、オーナメントのお店で小さなイースターのオーナメントを買いました。
雑貨屋さんでは野菜の形のボールペンを見つけてお友達に数本。
同じ経路でホテルに戻り、荷物の整理をしました。往路のフェリーより持ち込める荷物が少ないので、かなり捨てたり、空港の郵便局から送り返すように包装したりしました。スーツケースと手荷物の重さを量るためにベルト式吊り下げデジタルスケール も買っておきました。
翌朝、空港への送迎バスがあるということでしたが、バスが他で使われていたので、タクシー(無料)で送ってもらえました。ただ、フランクフルトの空港はふたつに分かれていて、私が乗る方まで行くなら追加料金がいると運転手に言われました。
面倒なので追加を払って行ってもらいましたが、後で考えたら、ふたつの間は無料バスが往復しているので、乗り換えてもよかったのでした。
郵便局から小包を送れなかったら持って搭乗するわけにもいかないし、ちょっと不安でしたが、最初に郵便局の場所を聞いた人が「前はあったけど」などと答えた時にはあせりました。
結局郵便局はもうひとつのターミナルにしかないので、往復する事に。
時間はたっぷりすぎるくらい早く行っていたのでその点は問題なしでしたが。
さて、ドイツからフィリピンへ行くのにイギリスはヒースロー空港を経由して5時間待つという選択をしてしまった物好きな私ですが、ヒースローでは免税店を見たり、書店を見たり(ウンベルト・エーコを1冊買ったけど未だに読めてない)。
同じような選択をした人か、ベンチで寝ている人もいました。
念願のイギリスのお茶はというと、お店のガラスにはアフタヌーンティーなどと書いてありますが、ファーストフード風と言った方が近いような。
紅茶はティーバッグがあたりまえの他の国と違って一応ポットで出されました。
クランベリーだったかのクラムというのも食べてみましたが、うーん。
クラムというのはどこで食べてもこんなものかもしれませんが。
ヒースローから香港までは空いていたので、スチュワーデス(この言い方古いですか?「空中服務員」という中国語が気に入ってます)さんがこちらの席を使っていいですよと言ってくれたので中央の座席に移ってのびのびできました。
ふと斜め前を見たら二本足だけがにょっきり見えて、どうなっているのかと思ったら、非常口近くのちょっとスペースが広い床に横たわって座席に足を載せているのでした。
左側の人は前の席が空席なので背もたれに足を載せてるし。
「ミスター・ターナー」という画家のターナーをモデルにした映画を選んで見ました。
ターナー、光に愛を求めて | Bunkamura LE CINEMA LINEUP WINTER-SUMMER | Bunkamura
これは儲けものでした!
そして香港からはあまり待ち時間もなく、セブ島行きに無事に乗りました。
天候を見て選んだ甲斐あって、機長が「最高のコンディション」といかにも気持ち良さそうに放送したとおり、青空を揺れる事もなく、途中涌き上がっている白い入道雲を上手に避けて飛んで、夜のセブ空港に到着しました。
フィリピンにちょっと滞在して京都に戻って来ました。
京都のことは別のブログに書いておりますので、お暇がございましたら、覗いてみてくださいませ。
フランクフルト
学生時代の旅行もフランクフルト発で帰国したので、フランクフルトは行った事がありました。
ハウプトヴァッヘという町の中心部で市庁舎など外側を見学し、ザクセンハウゼンでりんごのワインを飲みました。暗くなった帰り道、ディスコでドイツ人たちが「おっきい月」と日本語で歌って踊っていたのはなんだったのでしょう?
そんなに大きな都市でもないし、たいして見たい所も思いつかなかったので、空港の近くのホテルを予約しました。国際会議場があるようです。
まわりはいかにも郊外の新興住宅地と林?森?です。
これはこれでなかなかいい感じです。
しかしお店がまわりにない、すなわち食事はホテルでするしかありません。
フロントの近くでサンドウィッチとスナック菓子みたいなものを種類は少ないですが売っていました。
お昼はホテルのレストランでシュニッツェルを食べました。
薄く伸ばしてあるとはいえ、日本だったら一人分以上の大きさのが2枚もお皿にのっています。フライドポテトもすごい量。それに野菜の付け合わせとパン。
「多すぎ!」と言うと、ウェイトレスさんが「頑張って」と言いました。
頑張ったのですが、ポテトは食べきれませんでした。
お昼がもたれたので、夕食はフルーツサラダで十分でした。
ラマダホテルというホテルですが、朝はコーヒーが無料です。
ゲネラルプローベが何時から、なんとか教会に何時、などとロビーに書いてあったので、コンサートがあるのか聞いたら、それは宿泊中の楽団員向けの予定表だということでした。
ドイツからフィリピンに寄る予定で安い直行便もあるにはあったのですが、日付の変更がきかないので、念のために変更できるキャセイパシフィックを予約していました。
香港で1度乗り継ぐだけだったはずが、1ヶ月予定を早めるとなったら、ヒースローと香港で乗り継ぎのしかないではないですか!
ヒースローも行った事がないし(イギリスもなし)、行ってみてもいいかな、と予約を変更しました。何通りか選択肢があったのですが、香港で待つよりイギリスなら外に観光に行くのは無理でも空港でおいしい紅茶が飲めるかもしれないしと、5時間待ち合わせ時間がある便にしてしまいました。
ところが、予約メールを見ると、香港の当日の天気「雷雨」とあります。
天気予報のサイトを見ると、1日中雷雨!
香港は雷雨が多いようで、6時間に数回とか書いてある日もあります。それにしても一日中ではめげます。
飛行機に乗るのは30年ぶり、シベリア鉄道に乗ろうと思ったのも、シベリア鉄道そのものに興味があるのはもちろんですが、飛行機がいやだからなんです。
それなのに! 雷雨の中に突っ込んで行く?ネットで見ると揺れるのは発着の時だけとか書いてありますが… 旅慣れた人ならともかく、急ぐ訳ではないし、久々なので悪天候はなるべく避けたい。ということで、一日延ばす事にしました。
それに、私の香港の空港のイメージは40年近く前の高層ビルに囲まれて降りるときも飛び立つときも急角度、というものでしたので。さすがに広々したところに変っていましたが。
フロントの女性はてきぱきしていて親切で、予約と荷物の規約等をプリントアウトしてくれました。
もう一日宿泊したい旨伝えると、全部埋まっているので、キャンセルが出るかどうか様子をみましょうと言われました。
結局キャンセルがなかったので、同じ系列のやはり空港の近くのホテルに送迎車で翌朝送ってもらいました。
チューリッヒ経由でフランクフルトへ
ミラノ駅でフランクフルト行きの列車のチケットを買いたかったのですが、夜行はもう完売でした。寝台車ではないのならある、と言われましたが、とんでもない時間に到着しても困ります。
窓口のおじさまに、自分は英語ができないと隣の窓口の若い女性に丸投げされてしまいました。その時だって、なにやら余計なおしゃべりをせずにはいられないみたいです。
妹に、イタリア人って親切な人も多そうなのに、どうして仕事となるとやる気がなくなるのかしら?とメールしたら、アメリカでもハリケーンが来る前にと急いで駅に行ったら同じような人で大混雑だったのに、職員はやる気なさそうに自分たちで無駄話していた、という返事が返って来ました。
窓口の女性は私の言いたい事をわかってくれて、どれとどれがあるか教えてくれ、結局チューリッヒで一泊することにして、チケットを買いました。
アルプス越えも、来たときとは違うルートです。
今度の方が、トンネルを抜けるとびっくりするほど高い所を走っていたりしました。
湖もいくつか通り過ぎました。
キャンプ場がある湖です。手前には牛が草を食んでいます。
雨模様だったので、どの湖も鈍色でしたが、晴れた青空を映したらきれいでしょうね。
ヨーロッパでうらやましいと思ったのは、自転車を載せる車両があることです。
写真は取り損ねました。
若い頃ドイツに行ったとき、ブルガリアまで自転車旅行に行った、などという話を聞いて感心したのですが、途中鉄道も使えば少しは気軽に行かれそうです。
スイスもユーロではなくスイスフランなので、駅で両替しました。
列車内ではどちらも使えましたがとっさに換算できないので、どちらが得か、とかわからず…
チューリッヒの駅はいろいろお店やカフェもあり、自然食っぽいカフェで軽く夕食にしました。
チョコレートのお店もありましたが、これから暑い国に行くのにチョコレートを持ち歩くのは無理、と断念しました。
北欧のフェリーで買った洋酒入りチョコレートは一部つぶれてスーツケースの中がお砂糖でざらざらしたりしたあげくに食べきれず、荷物になるので途中どこかのホテルに置いてきてしまいました。
チューリッヒでもあてもなくホテルの空室を探し歩くのも不安なので、駅の旅行社で探して予約してもらいました。手数料がかかるので、やはりインターネットでとっておくほうがいいのですが、急に予定変更したのでしかたありません。
あと30フラン出せばもう少しよい所があると言われたのですが、スイスならそれなりの水準だろうと安い方にしました。安いといっても他の国より高めですが。
行ってみると、一応バストイレやベッド、部屋全体も清潔ではありますが、インテリアが倉庫みたいな感じです。壁の一面に山の写真のパネルがありますが、なんとなく殺風景で。
夜、ベッドに早めにはいって、テレビをつけました。音量もだいぶ絞ったのですが、隣の部屋の人が反応している気配がして、向こうもテレビをつけました。おそらくそんな大きな音ではないでしょうが、聞こえます。
壁につけた薄型テレビです。案外壁が薄いようです。
私が消すと、ほどなく向こうもスイッチを切ったようで、静かになりました。
そのホテルの少し手前のホテルは外に書いてあった値段も同じくらいか少し安いくらいで、私がきょろきょろしながら歩いていたらスタッフが出て来て「どこかお探しですか?」と聞いてくれたのですが、そこにすればよかったです。
翌朝は晴れて、近くの風景もいかにもスイスらしい、絵はがきのような美しさでした。
駅は近いのですが、歩いて行く途中でエホバの証人が日本語のパンフレットをくれたのにはびっくりしました。
鉄道でフランクフルトに向かいました。
ジェノヴァ 予定変更
あいかわらず咳も出るし、吐き気も加わったので、普段は風邪も20年ぐらい前にひいたきりで病院にも行かない私ですが、ちょっと不安になってきました。
妹には「ロシアで入院しないでよ!」と言われましたが、他の国ならいいわけ?
こじらせて肺炎にでもなった場合、ことばもできず先進国の中では医療があまり進んでいないと言われる国に向かうのはどうなのだろう?ドイツにでも行った方がいいかしら?
でもジェノヴァ駅に行ったらまたエレベーターがないし…
やはり予定通りフェリーで地中海をクルージングしてバルセロナへ向かおうと思いました。
朝ダイニングキッチンに行くと、女主人と娘さんがいました。
胃がわるいので朝ご飯は食べられないというと、女主人が「では紅茶を飲んだら?
紅茶は胃にいいのよ。私の紅茶を飲めば治ります」と、暖かい紅茶をいれてくれました。といっても、普通のティーバッグなんですが。
常々民間療法ってもしかしたら実際にそれ自体にも効果はあるのかもしれないけれど、それを施す人に病気を治す力があるのではないか、と思っているのですが、彼女がいれてくれた紅茶を飲んだらだいぶ気分がよくなってきました。
出発するときはスーツケースを持って階段の下まで運んでくれました。見かけによらず力持ち、とはいえ、重そうでしたが…
フェリー乗り場を聞くと、右の方を指して、あちらにあります、と教えてくれました。
しばらくその方向へ歩いたのですが、ありそうもないので、念のため、道行く人に聞いてみました。中年女性が「知らないけど、ああ、道路を渡ってあの看板のあるところ」と反対方向を指しました。
道路を渡ると言っても、工事中なのか常になのかわかりませんが、塀がさえぎっていて、どうやったら向こう側に行かれるのか悩んでしまいました。
遠回りしてやっと行ってみると、たしかにフェリー関連の施設でしたが、乗り場はそこではなく、最初向かっていた方角のショッピングセンターのところだと言う事でした。
フィレンツェもでしたが、ジェノヴァも石畳でなくても歩道がボコボコしていて、けっこういいキャスターがついているはずのスーツケースでも苦労して歩いて行きました。
ドイツやスイスに比べるとやはり経済状態がよくないのか、車道はともかく歩道がでこぼこで埃っぽいです。車椅子の人などどうするのでしょう。出歩かないのかあまり見かけませんでしたが。
ショッピングセンターらしきものはなかなか現れません。「ショッピングセンター」と聞いて思い浮かべるような大きな建物などありそうになく。
また不安になって、歩いている人に聞くと、知らないという答え。港は近くてもフェリーなどあまり乗らないのか、地元の人はあまり知らないようです。
ちょうど通りかかった男性がどこかに電話をして聞いてくれました。その上、スーツケースを引っ張ってフェリー乗り場まで案内してくれました。
なんと親切なのでしょう!
あとでお礼のはがきなど出せるように住所とお名前を書いていただきました。
日本に帰ってから京都の絵はがきを出すと、イタリアの絵はがきの返事が来て、山のコテージに桜の種をまきたいと書いてありました。
うんと余裕をもって出かけたのですが、さんざん迷ったので受付時間を少し過ぎていましたが、窓口で手続きしました。あまり感じがよくなかったです。最低限の仕事しかしないという感じ。
船は見えているのに、どうやったらそこまで行かれるのかがまたわかりにくくて、「その階段を降りて」と言われて途方にくれてしまいました。
けっこう急な階段なのでこの荷物を持って降りるのは厳しいです。
エレベーターを探しましたが見つかりません。
高い部屋を予約していたら、もう少し頑張ったかもしれませんが、ここでめげてしまいました。
その前から、ヨーロッパにちょっと飽きてしまって、京都の簡素で静かな禅寺が懐かしくなっていました。年取ったということでしょうか。若い頃には2ヶ月ヨーロッパにいてもちっとも飽きることなどなく、留学したいとか住みたいとか思ったのですが…
東京に住んでいたなら、また違ったでしょうか。
京都が世界一なんて思うようになってしまってました。
(帰って来ると京都らしい町並みなど絶滅危惧種だし、普通の生活があるだけでどうってことないのですが…祇園祭などは伝統を感じさせてさすがですが)
あんなに行ってみたかったポルトガルもそこまで魅力を感じなくなってしまいました。
疲れたということかもしれませんね。言葉が不自由なのも、知らない土地で常にひとりで行動するのも、あまり気にしていないつもりでもやはり積もり積もってストレスになっていたのかもしれないし、もっとはっきりした目的を持っていればもっと張り合いもあってよかったのだと思います。
実はヨーロッパのあとにフィリピンに行くことにしていたので、そちらへ行く予定を早めることにしました。
せっかくフェリー乗り場に連れて来ていただいたけど、フェリーはあきらめて鉄道の駅に行くことにしました。
とりあえずミラノで一休みすることにして、指定券を買いました。
例の階段、なんとかスーツケースを持って休み休み上りました。
私の少し先を若いけど華奢な男性がやはり苦労して荷物を持って上っていましたが、先に着くと引き返して手伝ってくれました。
いつもいつも人に助けられて旅行を続けてきました。
乗車するときも、ヨーロッパの鉄道はステップを大荷物持って上がるのがたいへんなのですが、私よりだいぶ年上の女性でもスーツケースを下から持ち上げてくれたりしました。
いくつになっても人助けが少しはできるように私も鍛えておかなくては!
ホームの小さなカフェに寄ると、前日スーツケースを運んでくれた若者の仲間の店員がいて、私の事を覚えていてにっこりしました。
あらためてお礼を言う事ができました。
ミラノに到着して、駅のインフォメーションというか旅行社で近くのホテルを探して予約してもらいました。やはり直接空室があるところを探しまわる勇気がないもので。
駅からほど近いフローラというホテルです。
フロントのイタリア人はあまり親切ではなかったですが、荷物を運んでくれた東洋系(中国系?)の人がお湯を頼んだときもポットにたっぷり入れてくれて感じがよくて親切でした。
若い頃はインドネシアなどの人が日本に興味を持ってくれても私は白人にばかり気をとられていましたが、今になると同じ東洋人に親しみや共感を感じることが多くなったような気がします。まあ、何国人でもいろいろな人がいて、気の合う人や合わない人、信頼できる人やできない人がいるのですが…
こぎれいでゆったりした部屋でくつろぐことができ、だいぶ体調もよくなってきました。
ジェノヴァへ
フィレンツェからジェノヴァへ行って、そこからフェリーでバルセロナへ行く計画でした。バルセロナからポルトガルに行って、物価の安いポルトガルで少し長く滞在したいと考えていました。
ジェノヴァからのフェリーの予約は一応してありました。北欧のフェリーは相部屋割引を希望しなければ定員4名の部屋も独占できましたが、イタリアは生活水準の違いか、価値観の違いか、個室でなければ相部屋です。あまり咳が出ると迷惑だし、ちょっと心配でした。
フィレンツェからの鉄道は予約していなかったので、駅で指定席券を買いました。基本料金はユーレイルパスを使います。ユーレイルパスのflexiで注意しないといけないのは、その都度自分で何日にどこからどこまで乗車したか記録を書き込まないと罰金をとられることがあることです。
一度まだ書いていないときに検札に来ましたが、親切な車掌さんだったので、書いておいてくださいと言われただけでしたが、人によってはわかりませんので、以後気をつけるようにしました。
イタリアの駅の切符売り場は、まず整理券をもらって、それから窓口に行くのですが、整理券をもらう段階で長蛇の列です。効率の悪さは並んでいるイタリア人も笑ってしまうくらい。係の人がひとりいて、どの窓口に行くべきか、用件によって割り振り、整理券を印刷して渡します。
その印刷用の紙がなくなってしまって別の人が入れ替えているところに話しかける人がいて、その間手が止まります。
やっと指定券を買って乗車しました。
コンパートメントではないタイプの列車だったので、スーツケースを置くスペースはありました。サブのナイロンバッグもけっこう重かったのですが、棚に載せようとしたら、若い東洋人の新婚旅行みたいなカップルの男性が載せてくれました。その間、女性はニコニコして見守っています。
ジャパニーズ?と聞くので、日本人ではなく、たぶん韓国人だと思います。
韓国人らしき若いカップルにはその後フィリピンでも助けてもらいました。
ふたりはピサの斜塔を見に行くらしく、私より先に降りましたが、その時にも私の荷物を降ろしてくれました。
ジェノヴァに無事到着しましたが、エレベーターがありません!
それらしきものはあるにはあるのですが、動いてません。
途方に暮れてうろうろしていると、ホームにある小さなカフェの人が友人たちと話していたのですが、その中のひとりがスーツケースを階段の下まで持ってくれました。
チップはいらないと階段を駆け上って行きました。
陽気な皮膚の色の浅黒い人たちだけどどこの国から来たのでしょう?これからの人生に幸あれと祈ります。
ジェノヴァは地図を見て港に近そうなB&Bを予約しておきました。
アパルトマンのワンフロアがB&Bになっていて、その上の階には経営者母子のお母様が住んでいて、他のフロアには別の人たちが住んでいます。
なかなか重みのある建物です。ちょっと昔の映画に出て来そう。室内はそれぞれ装飾が違うようです。
バス・トイレも共用ですが、いくつかありました。
体調がよければもっと楽しめたと思うのですが、朝から吐き気もして食事ができなかったし、車の音も気になってあまりよく眠れず、なんだかぱっとしない気分でした。
フィレンツェ
アルバパレスホテルの朝食もブッフェでした。
室内ですが南欧のテラスっぽいインテリアと食器です。
初めて見た給ジャム機?
朝食を澄ませてフィレンツェ観光に繰り出しました。
ジノリもすぐ近くにありました。ガラスに思い切り向かいのビルやいろいろ映りこんでいますが、白い磁器のうしろに顔料が並んでいます。
すぐ近くのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂を少し見てから、
サンタ・マリア・デル・フィオーレ聖堂に行きました。ここもさほど遠くありません。
すでにたくさんの人が来ています。団体もいて、長蛇の列。
日本の小学生みたいにおそろいの黄色い帽子をかぶった小学生も。
根性のない、ちょっと教会にも飽きていた私は入るのをあきらめ、まわりをぶらぶら。
今になるともったいない!!!と思うのですが、その時はなんだか疲れが出ていたのですね。下調べも不足してましたし。
向かいの聖ジョヴァンニ洗礼堂の扉の彫刻。昔々、父が買った画集で見たような記憶が…
たしかコンクールで彫刻家が選ばれたとか。
誰だったか忘れていたので調べてみたら、アントニオ・ギベルティという人でした。
まあ、私ったらどうしていつもちゃんとした角度で撮らないのでしょうね!
長蛇の列を見ただけで疲れたので!?横にあるカフェでいちごクリームを食べました。
朝食をしっかり取ってまだ間もないというのに。
妹と、今は亡き母と銀座の千疋屋で食べたのが懐かしくて。
ルネサンスのそれ自体が芸術、という建物のまわりにキッチュなお土産屋さんやキオスクや観光客向け馬車やらがあるところが、いかにもイタリアっぽいような気がします。
ミケランジェロの彫刻「曙」と「黄昏」、「昼」と「夜」を見たいと思いました。
最初聖ロレンツォ聖堂に入りました。が、ミケランジェロの彫刻があるのは「新聖具室」の方で、入り口も別です。
そちらに行くと、ありました。
ウルビーノ公ロレンツォと曙と黄昏。
ヌムール公ジュリアーノと昼と夜。
ヌムール公には趣味でやっていた石膏デッサンでお世話になったことが…
ミケランジェロはあまり乗り気ではなかったらしい上に、完成前にメディチ家はフィレンツェから追放されてしまったそうです。
夕方近く、夜のうちにネットで予約しておいたウフィツィ美術館に行きました。
並んだのは10分ぐらいでしたか、わりとスムーズに入れました。
なんといっても、ボッティチェリの「春」と「ビーナスの誕生」が一番人気で、団体さんを引き連れたガイドたちが説明しているし、人だかりになっています。
おまけに人いきれから守るためか、アクリル板みたいなものが絵の前にあって、少し見づらいです。写真も白っぽく写っています。
同じボッティチェリのけっこう有名な「ざくろの聖母」などの前はがらがらなのでゆっくり見られました。他にも画集で見覚えのある絵がいろいろあります。
謎めいたフォンテーヌブロー派もありました。
私はウッチェロなんかもおもしろいと思うのですが、誰も見てませんでした。
この絵の近くにあった、フラ・アンジェリコの聖母子も小品ながら美しい佳作でした。
こちらは絵ではなく、窓から見える風景です。
メディチ家の墓所ではたくさんのお墓を見て栄枯盛衰やどんな裕福な権力者でも免れない死を思い、ウフィツィ美術館では将来を約束されていながら幼くして亡くなったメディチ家の子どもたち(利発そうな女の子、ご機嫌で笑っている男の子)の肖像画やとんでもなく残忍に殺された殉教者の絵などたくさん見たせいか、ずっしりとした疲労感を感じてしまいました。
風邪もまだなおらず、あまり食欲がなかったので、日本から持って来たパックのごはんを湯煎してお味噌などと食べました。お味噌は味噌屋さんでは冷蔵庫ではなく樽に入れて売っているから常温で大丈夫だろうと思って持って来ました。が、器を煮沸消毒でもしてから移せばよかったのかもしれませんが、普通に洗っただけだったのがいけなかったのかもしれません。あるいは風邪のせい? 胃腸に来てしまいました。
フィレンツェへ
朝食の食堂の窓から見える風景です。すぐ下に細い運河があります。
ヴェネツィアらしさを満喫するにはよいホテルです。
水の都ヴェネツィアともお別れです。
また来る事があると思っていなかったし、カフェ・フローリアンもほとんどあきらめていたのに、来る事ができました。人生、わからないものです。
ヴァポレットで駅前まで行き、鉄道でフィレンツェへ。
駅から遠くないホテルなのですが、駅に到着してみると思い描いていたのと違って、
方向がわからなくて困る事がままあって、フィレンツェもしかたなくタクシーでホテルに行きました。
さっそく散歩に行きましたが、なんと、前から行きたいと思っていた「サンタ・マリア・ノヴェッラ」がすぐ並びにあるではありませんか!
800年の歴史を持つハーブを使った製品のお店です。
「修道士カドフェル」という、中世の修道院を舞台に薬草を栽培している修道士が事件を解き明かすミステリーのシリーズがありましたが、そんな薬草園がルーツなのでしょうか。
入り口は地味です。隣に入っているお店もあまりぱっとしません。
日本人、中国人、韓国人が次々入って行きます。
中に入るとさすが風格があります。
オードトワレを試してみたり、お土産によさそうなものを探してみたり…
「京都の町」というトワレ、桜みたいな香りがしてちょっと心ひかれ、よほど買おうかと思いましたが、ホテルのすぐ近くでもあることだし、もしやっぱり欲しいと思ったらあとでまた来ればいいのだからと、見送りました。
数日前から咳が出るようになっていたので、聞いてみると、ハーバリストに相談してください、と言われました。
別の部屋には生薬のコーナーがあって、そこにハーバリストがいて、「咳だけならこちらですが、鼻の症状もあるなら、蜜蝋とハーブのこちらです」と出してくれたのを買いました。
錠剤になっていて、1日3回舌の下でとかして服用するようにとのことでした。
あとでさっそく試してみると、プロポリスの味がしました。
気のせいか、だいぶ咳がおさまったような気がしたのですが…
お店を出て少し先にサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂がありました。
ウフィツィ美術館方面へ下見?に行ってみました。
いろいろな所で使われて日本でも有名になった歌劇「ジャンニ・スキッキ」のアリア「おとうさまにお願い」で、「今日恋人と指輪を買いに行きます。許してくれないならアルノー川に飛び込んでしまいます」と歌っているのはここですね。
このポンテヴェッキオ、遠くから見ると、建て替え間近の公営住宅みたいにしか見えなくて、まさかと思ったのですが、橋の上、両側に宝石屋さんが並んでいるのです。
ウフィツィ美術館もほど遠くない所にあります。