ジェノヴァ 予定変更
あいかわらず咳も出るし、吐き気も加わったので、普段は風邪も20年ぐらい前にひいたきりで病院にも行かない私ですが、ちょっと不安になってきました。
妹には「ロシアで入院しないでよ!」と言われましたが、他の国ならいいわけ?
こじらせて肺炎にでもなった場合、ことばもできず先進国の中では医療があまり進んでいないと言われる国に向かうのはどうなのだろう?ドイツにでも行った方がいいかしら?
でもジェノヴァ駅に行ったらまたエレベーターがないし…
やはり予定通りフェリーで地中海をクルージングしてバルセロナへ向かおうと思いました。
朝ダイニングキッチンに行くと、女主人と娘さんがいました。
胃がわるいので朝ご飯は食べられないというと、女主人が「では紅茶を飲んだら?
紅茶は胃にいいのよ。私の紅茶を飲めば治ります」と、暖かい紅茶をいれてくれました。といっても、普通のティーバッグなんですが。
常々民間療法ってもしかしたら実際にそれ自体にも効果はあるのかもしれないけれど、それを施す人に病気を治す力があるのではないか、と思っているのですが、彼女がいれてくれた紅茶を飲んだらだいぶ気分がよくなってきました。
出発するときはスーツケースを持って階段の下まで運んでくれました。見かけによらず力持ち、とはいえ、重そうでしたが…
フェリー乗り場を聞くと、右の方を指して、あちらにあります、と教えてくれました。
しばらくその方向へ歩いたのですが、ありそうもないので、念のため、道行く人に聞いてみました。中年女性が「知らないけど、ああ、道路を渡ってあの看板のあるところ」と反対方向を指しました。
道路を渡ると言っても、工事中なのか常になのかわかりませんが、塀がさえぎっていて、どうやったら向こう側に行かれるのか悩んでしまいました。
遠回りしてやっと行ってみると、たしかにフェリー関連の施設でしたが、乗り場はそこではなく、最初向かっていた方角のショッピングセンターのところだと言う事でした。
フィレンツェもでしたが、ジェノヴァも石畳でなくても歩道がボコボコしていて、けっこういいキャスターがついているはずのスーツケースでも苦労して歩いて行きました。
ドイツやスイスに比べるとやはり経済状態がよくないのか、車道はともかく歩道がでこぼこで埃っぽいです。車椅子の人などどうするのでしょう。出歩かないのかあまり見かけませんでしたが。
ショッピングセンターらしきものはなかなか現れません。「ショッピングセンター」と聞いて思い浮かべるような大きな建物などありそうになく。
また不安になって、歩いている人に聞くと、知らないという答え。港は近くてもフェリーなどあまり乗らないのか、地元の人はあまり知らないようです。
ちょうど通りかかった男性がどこかに電話をして聞いてくれました。その上、スーツケースを引っ張ってフェリー乗り場まで案内してくれました。
なんと親切なのでしょう!
あとでお礼のはがきなど出せるように住所とお名前を書いていただきました。
日本に帰ってから京都の絵はがきを出すと、イタリアの絵はがきの返事が来て、山のコテージに桜の種をまきたいと書いてありました。
うんと余裕をもって出かけたのですが、さんざん迷ったので受付時間を少し過ぎていましたが、窓口で手続きしました。あまり感じがよくなかったです。最低限の仕事しかしないという感じ。
船は見えているのに、どうやったらそこまで行かれるのかがまたわかりにくくて、「その階段を降りて」と言われて途方にくれてしまいました。
けっこう急な階段なのでこの荷物を持って降りるのは厳しいです。
エレベーターを探しましたが見つかりません。
高い部屋を予約していたら、もう少し頑張ったかもしれませんが、ここでめげてしまいました。
その前から、ヨーロッパにちょっと飽きてしまって、京都の簡素で静かな禅寺が懐かしくなっていました。年取ったということでしょうか。若い頃には2ヶ月ヨーロッパにいてもちっとも飽きることなどなく、留学したいとか住みたいとか思ったのですが…
東京に住んでいたなら、また違ったでしょうか。
京都が世界一なんて思うようになってしまってました。
(帰って来ると京都らしい町並みなど絶滅危惧種だし、普通の生活があるだけでどうってことないのですが…祇園祭などは伝統を感じさせてさすがですが)
あんなに行ってみたかったポルトガルもそこまで魅力を感じなくなってしまいました。
疲れたということかもしれませんね。言葉が不自由なのも、知らない土地で常にひとりで行動するのも、あまり気にしていないつもりでもやはり積もり積もってストレスになっていたのかもしれないし、もっとはっきりした目的を持っていればもっと張り合いもあってよかったのだと思います。
実はヨーロッパのあとにフィリピンに行くことにしていたので、そちらへ行く予定を早めることにしました。
せっかくフェリー乗り場に連れて来ていただいたけど、フェリーはあきらめて鉄道の駅に行くことにしました。
とりあえずミラノで一休みすることにして、指定券を買いました。
例の階段、なんとかスーツケースを持って休み休み上りました。
私の少し先を若いけど華奢な男性がやはり苦労して荷物を持って上っていましたが、先に着くと引き返して手伝ってくれました。
いつもいつも人に助けられて旅行を続けてきました。
乗車するときも、ヨーロッパの鉄道はステップを大荷物持って上がるのがたいへんなのですが、私よりだいぶ年上の女性でもスーツケースを下から持ち上げてくれたりしました。
いくつになっても人助けが少しはできるように私も鍛えておかなくては!
ホームの小さなカフェに寄ると、前日スーツケースを運んでくれた若者の仲間の店員がいて、私の事を覚えていてにっこりしました。
あらためてお礼を言う事ができました。
ミラノに到着して、駅のインフォメーションというか旅行社で近くのホテルを探して予約してもらいました。やはり直接空室があるところを探しまわる勇気がないもので。
駅からほど近いフローラというホテルです。
フロントのイタリア人はあまり親切ではなかったですが、荷物を運んでくれた東洋系(中国系?)の人がお湯を頼んだときもポットにたっぷり入れてくれて感じがよくて親切でした。
若い頃はインドネシアなどの人が日本に興味を持ってくれても私は白人にばかり気をとられていましたが、今になると同じ東洋人に親しみや共感を感じることが多くなったような気がします。まあ、何国人でもいろいろな人がいて、気の合う人や合わない人、信頼できる人やできない人がいるのですが…
こぎれいでゆったりした部屋でくつろぐことができ、だいぶ体調もよくなってきました。