ムラノ島とドゥカーレ宮殿
ホテルの朝食はブッフェで品数やお味はすごく豪華というのではないですが
普通に満足いくものでした。
窓からいかにもヴェネツィアらしい建物が見えるのもいい感じです。
ヴァポレットに乗る前にリアルト橋に行ってみました。
上から見た風景は何百年も前からあまり変ってないことでしょう。
船が手漕ぎからモーター付きが主流になったくらいで。
翌日の指定席がまだ取ってなかったので、駅に行って、係のおねえさんに教えてもらいながら(というかやってもらった)券売機で取りました。席を選びたかったのだけど、そこはとばされてしまいました。とはいえ座席が確保できて一安心。
若い頃行ってみたかったけれど果たせなかったムラノ島行きを実現させることに
しました。
ご存知のようにガラス工場とショップが集まっている島です。
ムラノ島行きのヴァポレットには沈むかと思うほど乗客を詰め込んでいました。大きい船にすればいいのに、と思ったけど、それだと低い橋の下が通れませんね。
ガラスのオブジェがありました。
だいぶ前に見たオペラ映画「ドン・ジョヴァンニ」はムラノのガラス工場を見学している場面から始まったように記憶しています。
日曜日なのであいにくガラス工場はお休みでしたが、ガラスを吹いて作品を作るところは、日本のスタジオガラスや工場など、何度も見学させてもらったので
たぶん窯の形が違うぐらいでそんなに変らないと思います。
道に沿ってずっとガラスの作品や土産物のお店、ところどころにピザ屋さんやレストランがあります。
インターネットで検索したら、ムラノで売っていても中国製のがある、ということでした。「ムラノで手作り」と強調しているお店があったり、サーティフィケイトと言ってシールを袋に貼ってくれるお店があるのはそのせいかも。
かわいい猫などもあったけど、途中で壊れるといやなので、お土産用に紐を通せる穴の大きいビーズを買うぐらいにしておきました。
ヴァポレットで戻りました。
ドゥカーレ宮殿近くはさすがに人が多くて、これまでヨーロッパではあまり見なかった中国の団体さんもいました。
学生の頃入りそびれて以来、ずっと一度は行ってみたかったサンマルコ広場のカフェ「フローリアン」に思い切って入ってみました。
お天気がよくて暖かいので、外の席にいる人が多いけど、私は中に入りました。
伝統あるカフェにふさわしく、豪華です。
中にいるのは観光客ばかりかも。今までめったに会わなかった日本人もいました。初々しいカップルでした。
ムラノ島のお店が混んでいて昼食を取り損ねたのでアイスカフェにしました。昔食べたドイツのよりはコーヒーの液体があって、あとはバニラアイスと生クリームです。外ではピアノと弦の楽団がポピュラーな曲を生演奏。
ウェイターも感じがよいです。
若い頃ヴェネツィアに来たときはドゥカーレ宮殿にも行かなかったので、見学することにしました。
ドゥカーレ宮殿はお城の例にもれず装飾と絵がすごくて、ここで総督やヴェネツィアの実力者が政策を決めたり権謀術数をめぐらせていたのだなあ、と思うと感慨深いものがあります。
ため息の橋と牢獄も見学しました。
下の写真はため息の橋から外を見たところです。これから収監される囚人は
これが外の世界の見納め、とばかりにため息をついたとか。
階段を下りても窓もなく鉄格子をはめた房が続き、いくつあるんでしょう。
もうたくさん、という気分になったので切り上げて外に出ました。
まだ時間があったので、アカデミア美術館に行き、ホテルに帰ってシャワーを浴びてから、夜の街に出かけました。
テアトロ・ゴルドーニという劇場のところのカフェレストランで、ピザを食べました。
呼び込みの東南アジア系?の日本語が少しできるおにいさんが「おねえさん!」などと
声をかけてきたので。
どこでそんなお世辞を使う事を覚えたのやら。
ピザは薄いけどすごい大きさで食べ過ぎ。その上、ウェイターがこうするとおいしいといって、100キロカロリー分ぐらいのオリーブ油をかけてくれました。
隣の席の中国系(シンガポールあたり?)のご夫妻と顔を見合わせて笑ってしまいました。
毎回違うウェイターが来るので、チップはどうしたらいいのか悩みましたが、仲良く分け合うみたいです。
ミュンヘンからヴェネツィアへ(4月11日)
ホテルアドミラルの朝食ブッフェは、生とドライフルーツが豊富で、
女性好みでした。食堂のインテリアや食器もおしゃれです。
窓から庭が見えるのもいい感じです。
お昼前にミュンヘン中央駅へ。
列車の中で食べるのに何か買おうと思いました。
ロシアからよく見かけていた、なんちゃって寿司(カリフォルニア巻きみたいなもの)を
買ってみようかと思いましたが、売り子のアフリカ系お兄さんが熱心にメールをしているので、声をかけそびれました。
そこまで食べたくなかったし、お値段も少し高めだし。
結局バゲットのサンドウィッチを買いました。
列車に乗ると、私の席にイケメンの青年が座っているではありませんか。
お互いチケットを取り出して見せ合うと、同じ席番です。
「僕ドイツ語わからない…」とイケメン君は頼りなげです。イタリア人で
イタリアに帰るところだったようです。
さらによく見ると、彼の方が時間が違う列車でした。
40年近く前にインターシティに乗ったときは、コンパートメントが多かったのですが
この旅行ではこれが初めてでした。
コンパートメント式の車両にはスーツケース置き場がなく、シベリア鉄道のように座席の下には入らなかったので困ってしまいました。
すると、同じコンパートメントの乗客、60代のスイス人紳士が棚の上に載せてくれました。
20キロもあるのに!
このかたは海外にも出張に行くようなビジネスマンだったけれど、今は退職し、
旅行したり悠々自適に暮らしているとのこと。奥様をなくされたそうで、もしかしたら
家にいても寂しいのでしょうか、友人を訪ねるところだということでした。
「70年間私たちは平和に暮らしてきたけれど、息子や孫の代のことが心配だ。
もしまた戦争が起きるなら、前よりさらに過酷なことになると思う。
戦争に勝者はいない。双方に犠牲が出るだけ」
「出張でロシアに行ったときは強盗に狙われないよう、タクシーに乗っても身を低くして
外から見られないようにしていた」などお話を聞きました。
私はロシアではロシア人通訳ガイドと一緒だったし、特に危険は感じませんでした。
状況も時代とともに変っているのかもしれません。
そのかたは下車する時も、スーツケースを降ろしてあげなくて大丈夫ですか?と聞いてくれました。また持ってもらうのもわるいし、人が乗って来るかもしれないので、大丈夫と答えました。実はちょっと心配でしたが、降ろすのはできました。他の乗客も降りてしまっていたので、落としてけがさせる心配もありませんでしたし。
列車はハイジが住んでいそうな景色のところや、川、古城のある山、ぶどう畑
など通って行きます。
乗車してから6時間余り、海とヴェネツィアが見えて来ました!
そうそう、こんなだったんだわ。
終点・ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅で降り、インフォメーションに行って地図と簡単なガイドブックを買い、ホテルへの行き方を聞きました。(地図はホテルでもらえたので買う必要なかった)
教えてもらったとおり、ヴァポレットに乗って、リアルト橋で降りて歩きました。
マニン広場まで行って、よく見ると路地の入り口に「ホテル・チェンタウロ」の看板が出ています。路地に入るとホテルの入り口が。
秘密めいた路地、いいですね。
スイスの紳士は「イタリア人は英語ができないけど、どうするんですか?」と言ってましたし、前に来たとき、あまりできる人はいなかった記憶があるのですが、フロントの男性は英語が達者でした。
私は安い方のバストイレ共同の部屋を予約したのですが、そのバストイレを使うのは私だけということでした。廊下で人の声がしたので、同じフロアにお客さんはいたと思うのですが、その人たちの部屋はバストイレつきだったのかもしれません。
重みのある鍵で部屋のドアを開けると階段を3段ほど降りるようになっていて、壁には文字通りのクロス、紙ではなく布が貼ってあります。天井には梁があって、いかにも歴史がありそうです。
洗面台もついています。
サンマルコ広場も徒歩圏内です。夕闇が迫って来ました。
ヴェネシャングラスやお土産用のカーニバルの仮面などがショーウィンドウに飾ってあるお店など見ながら散歩しました。
途中レストランに入って夕食にしましたが、何を食べたか忘れてしまいました。
ミュンヘン
ミュンヘンは夜行で行きたいと思って最初は1泊のつもりでホテルを予約し、夜行がもう廃止されていたため夜着いてしまうことになったので、急遽駅近くのホテルを予約したのでした。
チェックアウトしてとりあえず荷物を置きに最初から予約していたホテルアドミラルへ。
こぢんまりしているけれど、こぎれいでおしゃれな女性(マダム?)好みのホテルです。
ところが、行ってみると、予約が入ってないといいます。
フロントの女性は少しの間調べていましたが、「昨日の予約になっています」と言い、気の毒そうに、返金はできないと言いました。間違った日で予約してしまっていた!
高い方のホテル代を無駄にしたなんて、ショックですが、自分がドジなのでしかたありません。今夜部屋が空いているか尋ねると、空いているということでしたので、ちょっと待たされましたが、部屋に通してもらうことができました。
庭が見下ろせるバルコニーのある部屋です。
ミュンヘンは昔行ってなかなかいいと思ったアルテ・ピナコテーク(美術館)に行こうと思っていたのですが、ネットで見てみたら、修理中でやっていないようです。
イギリス庭園というのも考えましたが、たいして気が乗らず。
街中をぶらぶらすることにしました。
自然派コスメティックやカフェもある、オーガニックスーパー「BASIC」が歩いて行かれるところにあるので、行ってみる事に。
牛の胆汁入り洗濯石けんを飼いました。同じようなドイツ製のを生協で買って日本から持って来たのになくしてしまったので。(と、思っていたらこれはあとで出て来ました)
服のシミにもみ込んで15分くらい置いておくとシミがとれるんです。染料みたいなものはだめかも。食べこぼしなどには効果的です。
BASICには1階にイートインコーナー、2階にカフェテリアがあるので、あとでまた来る事にして、マリエンプラッツ方面へ行きました。
市場はすっかり春。
ドイツではアスパラが春を告げる野菜なのでしょうか。「農家から直送」とか書いて売っています。レストランでも外に「アスパラ料理」と書いてあるところがありました。
Spargel はアスパラのことです。
有名な市庁舎のからくり時計は、たしか時間になると騎士の馬上試合が始まって片方が倒れるのだったと思いますが、前に見たからまあいいことにして、待たずに歩を進めます。
ちょっとショックだったのはその近くにある聖ミヒャエル教会。前に来た時は日曜のミサがあって、玄人はだしの聖歌隊が歌っていたのが印象的でした。
今回その教会のまわりに白人(ドイツ人?)の若いホームレスが数組いたのです。
EUでも豊かなドイツで?
この旅行中、中国、ロシア、北欧でホームレス・物乞いを見かけましたが、ヨーロッパの白人は見た事がありませんでした。
ロシアではロシア人がやりたがらない低賃金の汚れ仕事を外国からの出稼ぎ労働者がやっている間に奥さんたちが物乞いをしている、と通訳ガイドが言っていましたし、他の国もそんな感じでした。ロングスカートにネッカチーフをかぶったスタイルのおばさんやおねえさんが「当然でしょ」みたいな態度で缶カラを差し出していました。
警官が来るとその人たちはそそくさと立ち上がってどこかへ去って行きました。
日本からは冬用の靴しか持ってこなかったので、たくさん歩けるサンダルを買いたいと思い、靴屋さんをさがしました。ちょうどおあつらえ向きのお店、楽な靴の専門店というのがあったので、メフィストのサンダルを購入しました。100ユーロちょっとぐらいだったと思うのですが、あとで日本のデパートで見たら3万円!
さっきのBASICのカフェテリアでお昼を食べ、ぶらぶら歩いていたら、かわいらしいカフェがあたので入ってみました。
「フロイライン」という名前です。フランス語で言えば「マドモワゼル」に当たることばなのですが、最近はあまり使われなくなっているようです。女性だけ未婚既婚の区別があるのはおかしいとか、「小さい婦人」なんて失礼と思われるようになったせいだと思います。
小さなお店ですが、刺繍したクロスやクッションなどを置いて、「少し前の未婚のお嬢さんの部屋」をイメージしているようです。お嬢さんたちが花嫁修業しながら手芸をしていた時代へのノスタルジーでしょうか。
レモンタルトを食べました。
もう着そうにない真冬の衣類を少し包んで日本に送り返そうと思って、ホテルに戻りました。
部屋にフルーツが置いてありました。
ウェルカムの意味で各部屋に置くのに、私が予定外に早くチェックインしたので間に合わなかったのでしょうか?
あるいは、1泊無駄にしてしまった私に同情してくれたのでしょうか?
果物が好きなので嬉しかったです。
郵便局に行く途中にあった書店です。
ミュンヘンへ
翌朝ミュンヘンへ向けて出発しました。
早く駅に行ってしまったので、その場で作ってくれるジュースで野菜補給。
といっても朝食もしっかりとったのですが。
車窓から撮ったので反射しています。どこの駅か忘れましたが、まだデンマークです。
この列車のおもしろいところは、デンマークからドイツまで列車ごとフェリーに乗って海を渡るという体験ができることです。
隣にトラックが。
乗客は降ろされて4〜50分でしたか、フェリーの中で自由行動です。
階段をあがってすぐのところにレストランがあり、ちょうどお昼時、というタイミングのよさ。ただ、私は免税品店やデッキなど見て歩いてから行ったら、受付時間が終わってしまっていて残念でした。
デッキでアイスクリームを食べてがまんです。
列車にちゃんと戻れるか少し不安でしたが、そんなにしっかり放送が聞き取れなくてもぞろぞろ鉄道から来た人たちが階段を下り始めたので、一緒に下りて自分の席に戻る事ができました。
陸に到着すると、そんなに手間取らずに車両は陸の線路を走り出し、再び普通の鉄道の旅になりました。
モンゴルやロシアはまだ冬で野原は枯れ草色でしたが、ヨーロッパに着いてからはけっこう気温もあがってきて、一都市めぐるごとにかすかな緑からだんだん濃い緑へと変化してきました。
デンマークと北ドイツは風が強いのか、風力発電の風車をたくさん見ました。
車窓から見たドイツの田園風景です。
ドイツはなんとなく豊かそうでこぎれいな感じがします。
ミュンヘンに着いたのは夜でした。
駅に近いホテルを予約しておきました。
学生の頃ドイツに来たときには、ミュンヘンやフランクフルトなどの中央駅構内と周辺は治安が悪いから注意するよう言われたので、警戒しましたが、危ないこともなくホテルまで行く事ができました。
もちろん注意するに越したことはありません。
旅行前に読んだのですが、深夜ならぬ午後4時台に、人目もないわけではないのに、いきなり羽交い締めにされて気絶している間に服の中に隠していたお金やパスポートを盗られたケースがあるそうです。どことは書いてなかったのですが、ヨーロッパの駅だそうです。
あとをつけられていないか注意するようにとのことでした。
ホテルはアートホテルというのですが、ポップアートっぽい若手アーティストの作品があちこちにあって、部屋は学生寮をちょっと良くしたような感じでした。
そんなカジュアルなホテルですが、オーナー(マネージャー?)はお客の満足度に気を配っているようでした。
コペンハーゲンへ
中継点みたいなつもりでしたので、1泊だけです。
フィンランドはユーロでしたが、スウェーデンはスウェーデンクローネ、デンマークはデンマーククローネで1泊しかしないのに両替しないといけなくて、面倒です。
デンマーククローネには日本の5円玉や50円玉のような穴あき硬貨があります。
若い頃にヨーロッパ旅行をしたとき、珍しいだろうと、ドイツ人のこどもに50円玉をあげたら、どうして穴があいているの?と聞かれました。
どうしてなのでしょうね?
小銭はなかなかお財布から即座に選んで取り出すほど慣れないので、いつもちょっとした買い物をする時にはあわてます。それでついお札を出してお釣りをもらっているとコインがたまってしまって、出国するとき両替もできないし、重いし、困ります。
人魚の像も見たくない訳ではなかったのですが、あまり時間もないし、手近なところでチボリ公園に行きました。
ヒヤシンスが花盛り。いい匂いでした。
チューリップも。
ひとりで遊園地なんてどうかしら?と思っていましたが、春爛漫の様子を楽しめました。
レストランのところに孔雀がいました。
明るいのですが、夕食の時間になったので、何軒かあるレストランを見て歩いて、グリル料理のブッフェのお店にしました。ブッフェなら目の前にあるものから選べます。
ベテランらしいウェイターが、ちょっと声をかけてくれたりしてさりげなく気を使ってくれるので、ひとりでも寂しくもなく、おいしく食事ができました。「プロのギャルソン」という感じです。だいぶ前ので、予告しか見てないけど、フランスのギャルソンたちが主人公の映画がありましたよね。
夕方のチボリ公園です。
ジェットコースターなどスリルを楽しむ(私は苦手ですが)乗り物もありますが、公園でもあります。入園料は必要ですけど。
実はサンクトペテルブルクのホテルに洗濯バサミのついた物干ハンガーを置き忘れてしまって困っていました。
100円ショップで買ったので金額的にはたいした損失ではないのですが、長旅の必需品です。どこかで売っていないかな、と思っていました。
それはなかったのですが、チボリ公園のショップで、物干し用ロープが売っていました!
遊園地に物干し用ロープとは、なんだか不相応ですが、助かりました。
きれいな色のがあったので、購入しました。ロープは結びつけるところが普通あまりなくていまいちですが、ないより断然いいです。
ホテルはチボリ公園や駅から近い所にあります。
チボリ公園からホテルに戻る途中。向こうの方に駅が見えます。
この写真の左側に日本のパン屋さん、アンデルセンがあります。
この近くのセブンイレブンあたりでスリにあったという体験談をネット上で見た事がありますので、いらっしゃるかたはご注意ください。
ホテルは場所は便利だけれど向かいにセクシーな女性の看板が出ているクラブがある、とホテルサイトの口コミにありました。実際そうでしたが、特に柄が悪いといった風でもなく、静かでした。私は夜遅くは外出しないので、あまり関係ないのですが。
ストックホルム
ホテルに荷物を置いて観光というか散歩に出かけました。
この船のホテル「マラルドロットニンゲン」からぶらぶら歩いて行き当たった、観光客がたくさんいる所が旧市街ガムラスタンだったようです。
レストラン、カフェ、お土産屋さんがあります。
そろそろお昼でしたので、「スイスのコンディトライ」という名前のカフェにはいりました。
いつもカフェばかり。このブログも「カフェめぐり」という題にすべきだったかもしれません。しかもストックホルムでスイス?
入り口にはオレンジが山積みになっていて、生ジュースをしぼってくれます。
ガラスケースの中はボリュームたっぷりのサンドウィッチとケーキがたくさんあって、「豊穣」という言葉を思い出しました。
ラザニアを選びました。
メロンの一種とサラダ、スープ、紅茶がセットになっているのですが、すべてが大きい!
お皿も大きくて厚手なのを重ねて使っているのですごい重みですし、紅茶のカップも尋常ではない大きさで重たかったです。
お店のご主人らしき年配の男性が親切でした。
四半世紀も前の事になってしまったけど、母とジョージ・ジェンセンにはまっていたことがあって(といっても手頃なお値段のものしか買えなかったけど)、東京のデパートの売り場にいたら他のお客さんがイヤーペンダントなんか向こうでは500円くらいだなどと言っていたので、のぞいてみることにしました。
スウェーデンでも高いものは高かった、というのが結論です。イヤーペンダントみたいなものは置いていませんでしたし。
ジェンセンのあるあたり
イースターなのでショーウィンドウも復活の象徴・ひよこなど飾られていてかわいらしいです。
ガラスが反射して歩いているひとたちも写ってしまいました。
広場では花屋さんがたくさんの花を売っていて、湖や川が凍っているロシアからみると、いっぺんに春が来た、とウキウキします。
桜も咲いていました。
宮殿に行ってみる事にしました。
スウェーデン王室の事務所があり、晩餐会などが行われるなど、今もお住まいではないけれど宮殿として使われているようです。一部が博物館になっているのですが、3カ所(だったか?)あって、共通のチケットでした。
中はエルミタージュのように明るくなく、電気がなかった頃の照明のイメージなのでしょうか。
ゲスト用の部屋がある建物だったと思います。
へたな写真ばかりでごめんなさい。雰囲気だけでも感じ取っていただけたら幸いです。
そしてこの日、しつこく、お昼に行ったスイスのコンディトライに再度行きました。
ラザニアでお腹がいっぱいになって食べられなかったケーキを食べたくて。
帰りに王宮の裏手を通ると、衛兵の交代式をやっていました。
ストックホルム到着 (4月7日)
朝になり、朝食もブッフェを予約していたので、開始時間に食堂に行きました。
が、開いていません。
場所が違うのでしょうか? 案内図など見ても他に食堂はありません。
私だけではなく、他にもうろうろしている人たちがいました。
そう、フィンランドとスウェーデンには時差があるのでした。朝食はスウェーデン時間なので1時間後なのでした。
スウェーデンの近くは瀬戸内海のように小さな島がたくさんありました。
二日間の航海は瀬戸内海の時と同じく揺れる事もなく海の上にいることを忘れるくらいでした。
ストックホルムに到着し、駅方面は行く送迎バスに乗りました。
正直言ってどれに乗ったらいいのかとまどいましたが、それらしいのに乗せてもらって、最初はとりあえず駅まで行こうかと思ったのですが、どうも途中でホテルの住所に近い所に止まるようなので、運転手さんに確認すると、そこが近いとのこと。
バスを降りて、いい車輪がついていると売り場の人が言っていたスーツケースでも、ぼこぼこした石畳に苦戦しながら歩き始めました。
ネットで予約しておいたのは、昔の客船をホテルにした所です。船から降りて船なんて、と思ったのですが、フェリーは船というよりビルみたいだし、誰もが海外に行くわけではなかった時代の、雰囲気のある船ならまた違っておもしろそう、ということで決めました。
私の部屋です。
二段ベッド。トイレとシャワーもついています。ちょっと狭いのは昔の船なのでしかたありません。あと、階段が狭くてベルボーイみたいな人もいないので、スーツケースを持ってあがるのが一苦労でした。
でも、窓からはフェルメールの絵のような風景が見えます。海側の部屋にして正解でした。